東京高等裁判所 昭和31年(う)2363号 判決
被告人 小出則彦
〔抄 録〕
道路交通取締法第八条第一項に規定する、「車馬又は軌道車の操縦者は、道路、交通及び積載の状況に応じ公衆に危害を及ぼさないような速度と方法で、操縦しなければならない。」というのは、道路、交通及び積載という三条件を合せた状況だけをいうのではなく、いずれか一つの条件における状況でも、またそのうち二つの条件における状況でも、これらに応じて操縦者は、公衆に危害を及ぼさないように十分に注意してその速度を加減しその他適当な方法をとらなければならないことを趣意とするものと解するを相当とする。したがつて、空車といえども、これを車庫又は車置場から道路に引き出すため操縦する場合は、道路や交通の状況に応じ通行の車馬や、障碍となるべき器物の在否等に注意し、損傷等の事故を起し、ひいて公衆に危害を及ぼすことのないように行動しなければならないのであつて、貨物自動車の操縦者が該自動車を運転操縦する場合助手又は誘導者を必要とする旨の規定はないが、公衆に危害を及ぼすことのないように操縦するには、その状況に応じて助手又は誘導者を必要とする場合もあり得るのである。
しかして、本件記録及び証拠を精査し、原判決を仔細に検討し、さらに当審事実調の結果に徴するときは、被告人の本件事案については、次のように観察せられる。
すなわち、被告人は、原判示のように普通貨物自動車(千第一―一一五二四号)を長島浅吉方車庫から空車のまま車庫前の通称木下街道に出るため、助手その他誘導者の助力を借りず単独で後退運転したものであつて、この車庫は扉の設備がない地面に柱を掘り立てて屋根を設けた程度(原審検証調書附属第二現場見取図、第三号、第五号、第六号、第七号写真参照)のもので、東側は車洗場、倉庫に接し、これらの建物は車庫及び車庫通路からの見透しの障碍となり、西側は長島浅吉方の店舗及び居宅となつているので、これまた西側の見透しの障碍となつており、該車庫は車庫通路の北方僅か九〇糎を距てて舗装した通称木下街道に接しているので、車庫から自動車を出す場合は、運転台にいる操縦者は運転台か車庫通路を出切らなければ街道前後(東、西)の見透しがきかない。しかも街道の車庫前はS字型の部分の中間で、車庫通路を出切つて街道を見透すことのできる地点(原審検証調書記載起点イ点)に立つて、東方、すなわち中山競馬場及び木下方面を見るときは、約五〇メートル、西方、すなわち千葉街道方面を見るときは、約三〇メートルの距離が見透せるだけである。車庫附近の木下街道の幅員は舗装部分が六メートル、余剰通路が二メートルであつて、被告人が本件貨物自動車を後退運転して車庫から街道に出る場合は、荷台の全部が街道を占め、ついで運転台も街道に出かかるのでなければ、街道の交通状況を確め得ない状態で、被告人が本件貨物自動車のような運転台に比して荷台の極めて大きい車を後退運転し、運転台より街道の交通状況を確めることのできる位置まで進むときは、該自動車の車体は木下街道の幅員の多くを占め、他の自動車等が被告人の本件貨物自動車を避けて右街道を通行することの極めて困難であり、被告人の右自動車が一旦街道に出切つて、さらにギヤを入れ換え進行して木下街道側端の位置につく等のことがない限り右街道を通行することの安全を期待し得ない状況にある。その上車庫前の右街道は、前記のように前後の見透し距離が少ない彎曲したところで、その両側には商店、人家がならび、千葉街道から中山競馬場を経て木下町方面に通ずる枢要な道路に当り、通行人も相当多く、船橋市内馬込沢や鎌ケ谷村附近から野菜を集荷して東京都内に向う自動車等諸車の交通も相当頻繁であることを常とする状況である。
かような車庫の位置、道路及び交通の状況の下においては、たまたま本件衝突事故発生当時の昭和二九年一〇月八日午前六時四〇分頃は、所論のように通行人も稀れで貨物自動車の通行も少なかつたものとするも、被告人が本件貨物自動車を前記車庫から後退運転して木下街道へ出るに際しては、いつ何時自動車等車馬が往来するとも測られないので、まづ助手その他の者によつて、安全かどうかを確認させた上その者の誘導によつて操縦することをもつて、道路交通取締法第八条第一項に規定する「道路、交通の状況に応じ公衆に危害を及ぼさないような方法」というべく、被告人において、かかる公衆に危害を及ぼさないような方法をとることなく、単独で操縦したのは、たとい、所論のようにその運転速度が除行程度で、しかも一回の後退で、本件貨物自動車が積荷のない空車であつても、右取締法第八条第一項に違反するものと認定すべきである。
被告人が以上のように後退運転により本件貨物自動車を右木下街道に進出させた際、折柄自動車運転者早川三治郎の運転する野菜類を積載した普通貨物自動車(千第一―八四四〇号)が中山競馬場方面から千葉街道に向つて進行し来り、被告人の繰縦する本件貨物自動車の後部車体に衝突した事故の原因が右早川三治郎の業務上過失にあるかどうかの点は、被告人の右道路交通取締法違反の責任に消長を来すべき限りでない。
これを要するに、原判示事実は、原判決挙示の証拠を綜合して優にこれを認めることができるのであつて、当審事実調の結果によるも右の認定を覆えすことを得ないのであつて、原判決には所論のような事実誤認その他判決に影響を及ぼすべき瑕疵は少しもないので、論旨はすべて理由がない。
(工藤 草間 渡辺好)